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陶齋作品 1943年(昭和18年)鵠沼(くげぬま)時代の署名のこと。

2012年6 月 3日 (日曜日)

先日午後、新潟県立近代美術館へ行き、同館が収蔵される齋藤三郎作品「呉須掻落牡丹文瓶(ごすかきおとしぼたんもんびん」を拝見し撮影させて頂いた。 

 

作品は2009年秋の同館の企画展「あふれる詩心-版画と陶芸-展」で一度見ていた。図録に1943年制作とあった。年代は拙樹下美術館で唯一欠けている鵠沼の時代である。底に記されているはずの署名がどんなものか、長く見たいと思い続けた。 

 

当日、奥まったスペースで丁寧な学芸スタッフによってまず全体を見せて頂いた。続いて底を見るために寝かせて頂いたところ一瞥では署名が分からなかった。エッと思って目を凝らすとへりに小さな刻印風のものがある。さらに凝らすと釘で浅めに彫った署名だと分かった。

 

下に当館が収蔵する作品と今回拝見した署名を古い順に①~⑨まで示させて頂いた。④はこのたび撮影した彫り署名の写真をトレースしたものである。

 

 

1①昭和12年秋
作品の箱に年代明記されていたので大変助かった。

 

2
②昭和12-13年


4
④昭和18年


6
⑥昭和24-29年


8
⑧昭和40年代

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③昭和13年


5
⑤昭和24年頃


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⑦昭和24-29年


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⑨昭和50年代

10
⑩ずっと年代同定で悩ませられた署名。

10色絵魁大鉢
その署名がある口径30センチの色絵魁(さきがけ)大鉢。

10の裏面
その裏面。

 

一連を眺めて二三の感想を記して見たい。

●この度の作品の署名④は筆によるものとばかり思っていたので、小さな彫り署名は意外だった。

●しかしそれ以前の署名①②③を考慮すると、④の字体は自然な流れの中にある印象を受けた。

●⑤は拙父が生前に集めた青磁鉢の署名である。見慣れた戦後髙田の⑥⑦⑧⑨と異なり同定に困難を感じていた。しかし長く当家にあったので早期の髙田時代であろうと推測していた。このたびの鵠沼④から見ると連続性があり推定通りとして一応安心した(同じく彫り署名でもあり)。

●⑩は樹下美術館にある色絵魁大鉢の署名で、少々字体が風変わりだ。戦前の時代②③と幾分類似するように思われるが自信が無い。さりとてこのたびの鵠沼とも異なる。また見慣れた髙田時代の⑤⑥⑦⑧⑨とも関連させずらい。聞けば戦前と言う人もいたし、戦後という人もいる。
非常に大きくて実験的な印象が漂う興味深い作品である。予定している当館収蔵図録において唯一「年代不詳」とすることとした。

 

年代同定は、最初に手に入れた人か何より作者に聞くことが出来れば何でも無い事であろう。しかし後人が本などにしようとなると苦労と不安がつきまとう。

 

最後にこの度、新潟県立近代美術館の学芸員の方々には大変丁寧に対応していただき深く感謝しています。

お見せ頂いた呉須掻落牡丹文瓶は素晴らしく、齋藤三郎の生涯最高作品ではないかと思いました。もしかしたら古今東西における陶芸の傑作の一つかもしれませんね。樹下美術館で陶齋を飾れる幸せを感じながら帰りました。

 

当花瓶の写真は樹下美術館カフェにある本「越後の陶齋 泥裏球光」と「あふれる詩心-版画と陶芸」でご覧になることが出来ます。

トキ親子のひと安心 鳥が緩和するマイナスイメージ そして未来。

2012年6 月 1日 (金曜日)

今日から暦の夏となった。災害が無いことを祈るばかりだ。

 

昨日トキ幼鳥の映像を心配したが、今日のテレビは親子の給餌風景をしっかりと写した。 昨日とは一転、美しいトキの行動はダイナミックで見応えがあった。

 

餌をねだる幼鳥
餌をねだるヒナ(TeNY/テレビ新潟のニュース画面より)。

 

本日二羽がそろって巣離れしたという。天敵だらけの中、まずここまで成功させるとは素晴らしい親であろう。これから各所の餌場へ子を連れて回り、翼を強化させ、給餌し、探餌や危険への教育をするだろう。

 

鳥は子育てのためなら相当大胆になる(人もそうだが)。餌を求めて驚くほど人や民家に近づくかもしれない。人工的な環境で始まったが、共生が成立すれば佐渡を“命の島”“優しさの島”へと再生させる可能性を秘めている。

 

多発する災害や世界一大きな原発施設など新潟県のマイナスイメージを鳥たちが緩和する。

 

群れてトキが飛ぶ将来、善光寺参りのあと「佐渡のトキ参り」も夢ではなかろう。新・新幹線駅と佐渡汽船も救うこことになるのか。地域作りとは何か、深く考えさせられる。

 

まだまだヒナは後に控えている。何より豊かな餌に恵まれますように。

トキの幼鳥は飛べば済むのだろうか、給餌は?

2012年5 月31日 (木曜日)

トキのヒナが巣立ちをして、今日は飛び立った映像が見られた。

 

報道の担当官は飛んだ飛んだと笑顔、一方で給餌の場面は無かった。巣立ち後の幼鳥は飛べば済むのではなく食べなければならない、それも盛大に。

 

給餌1
親鳥より大きく見える雀の幼鳥。

給餌2
ヒナは親を追って狂わんばかりに餌をせがみ、親は憑かれたように与え続ける。

 

雀、燕をみる限り給餌は数分に一回の頻繁さだ。来たるべき厳しい環境における自立に備えて、親は目一杯エネルギーを与える。そのため幼鳥は親よりも大きく見えるほどだ。

 

成鳥の餌の一日量は体重の10%前後といわれる。幼鳥であればもっと多く必要だろう。1,5~1,8キロの体重を考えれば呑気に飛んでいる暇はない。田には人が居る、頼みのビオトオープで餌は足りるだろうか。

 

ところで本日の幼鳥は餌が不十分なため、まさか空腹に耐えかねて飛び出したわけではあるまい。民家の屋根に佇むやせこけた姿をみるにつけ心配だった。

 

親は巣に残っているヒナにも給餌を欠かせない。今日人間も大変だが、トキ親子にも文字通り生死を分ける厳しい試練が続く。

牡丹のああ 芍薬のおお。

2012年5 月30日 (水曜日)

めまぐるしく入れ替わる花。先日満開のナニワイバラはいま名残となり、牡丹が終わって芍薬が賑わっている。クレマチスはいよいよ粘る。

 

牡丹二週間前の牡丹。

 ナニワイバラ
名残のナニワイバラ。

芍薬
本日訪ねた家で見た芍薬は素晴らしかった。

 

木と草、葉の形状、咲く位置(枝と芯)、時期の後先などで区別される牡丹と芍薬。しかし花だけみればよく似ているものも少なくない。“立てば芍薬、座れば牡丹”は、ある種ニュアンスを言い当てているようでもある。

 

良い花であれば、私は牡丹をみるとああ、、と言いいい、芍薬をみるとおお、、と言いたくなる。牡丹は高貴な深窓の麗人、芍薬は賑わう街中の美人、ということかもしれません。

自立するヒナ 午後の移動知事室。

2012年5 月28日 (月曜日)

肌寒い雨の日の午前、二階の窓辺の手すりに付けた餌台に雀たちが頻繁に寄っていく。こんな日は虫も引っ込んでいるので餌台は便利なのだろう。

 

例年わが家の軒下はムクドリが優勢に営巣する。しかし今年は全て雀が取った。減っていると言われる雀のこと、是非増えてほしい。

 

雨の日の雀親子
カーテンの向こうの雀。右の雀はくちばしが黄色みを帯びていてヒナに見えた。背後に咲き始めた薔薇が写っている。雀は自立へ向かい、一年で最も良い季節になった。大方の予想を越えて多く巣立ったトキも非常に明るいニュースだ。

 

さて本日午後、近くの福祉施設で泉田県知事との懇談会があった。テーマは頸北地域の保健医療福祉の連携。地域医療を深く理解し、熱心な取り組みをされる柿崎病院の藤森院長はじめ関係分野7人が実感や意見を述べた。

 

知事のことは報道などから生活重視の姿勢伝わり、公明正大な方だと尊敬していた。本日は脇に座らせていただいて光栄だった。柿崎病院の真摯な姿勢および医師不足による地域地医療存亡の危機、大きすぎる上越市の不便を述べさせていただいた。

 

知事は一切言い訳めいたことを口にされず、時間を越えて参加者の声を傾聴された。終了すると筆者を待って下さり短い立ち話をしていただいた。お目に掛かったのは二度目だが、新たな元気が出るのを感じた。

富本憲吉 齋藤橡三郎、森一正 銀座三人展。そしてお茶碗とお菓子。

2012年5 月26日 (土曜日)

かって先輩から頂いた齋藤三郎さんの資料の1つに古くて珍しい展覧会案内がある。富本憲吉、森一正、齋藤橡三郎の三人展だ。

 

開催場所が銀座「こうげい」、時期は4月25日より5月2日までとある。

 

三人展案内表

 

開催年が書かれていないが、“橡三郎(しょうざぶろう)”は若き日の齋藤三郎が用いた名である。さらに案内文に京都の人と紹介されている。東京における富本師事を終了して一旦京都で独立した昭和12~13年に相当しよう。

 

記されている森一正氏は明治33年生まれ、石川県は寺井(現能美市)出身の九谷焼き作家と知った。

 

当時富本氏はすでに陶芸界の最高峰の一人となられていた。その人が大正2年生まれで25才前後の若き齋藤さんや先輩弟子に当たる森氏とともに作品展をする。厳格な印象の富本氏が、弟子のために銀座で行う展覧会。ほのぼのとした師弟愛が浮かび心暖まる。

 

お茶碗とお菓子
森一正さんのお茶碗とお菓子。奥にオオヤマレンゲ、手前にボタン。

 

このたび案内状の森氏をサイトで検索したら、偶然オークションに抹茶茶碗が出ていた。不慣れなオークションで無事手頃な価格で手に入った。

 

本日到着したが、堂々たる梅樹の紋様。九谷の作家だけあって美しい緑色が大胆にあしらわれていた。梅の季節は過ぎているがお構いなし、早速お茶を頂いた。丁寧な作品で飲むお茶は兄弟子の親しみの味がして美味しかった。

 

お菓子は妻のお茶仲間から頂いた竹内泰祥堂さん。オオヤマレンゲとボタンで季節はぴったり、上品な甘さが嬉しかった。いつも頂き物ばかり、、、、とても恐縮しています。

 

様々な出会い、ささやかながら美術館を営んで巡りあう幸せを有り難く思っています。

齋藤三郎、謎の鵠沼(くげぬま)時代。

2012年5 月25日 (金曜日)

5月発行という当館収蔵作品図録がまだできない。齋藤三郎氏の道程でどうしても埋まらない時代があり、あと一歩のところで止まっている。その時代を飛ばすことも可能だが、二度と出せない図録のこと一旦終了としたが欲が生まれた。

 

埋まらない時代とは昭和15年までいたサントリーの創業者・鳥井信次郞氏の個人窯である壽山窯を出て、18年に出征するまでのおよそ2~3年の期間である。この時期は神奈川県は藤沢市の鵠沼で制作したことが知られている。それ以前の作品は僅かながら手許にある。出来れば鵠沼時代の作品、なかんずく底にある署名をぜひ見たい。

 

ところで新潟県立近代美術館の過去の展覧会図録に1943年制作という齋藤さんの花瓶が載っていた。当年は昭和18年に当たるのでまさに出征直前の鵠沼と推察される。

 

このたび同美術館に研究のためという趣旨で閲覧と撮影の許可願いを提出した。

 

齋藤さんの作品は箱のないものが多い。髙田時代の早い時期を集めた父は新聞紙にくるんで運んだ。一般に箱はあっても制作年の記載がなく、年代同定で悩まされる。頼みは署名だが、名前、書体とも様々に変遷を重ねている。しかし変遷には一定期間ある種傾向を有するので、色々見るのはためになる。

 

県立近代美術館の作品は素晴らしい呉須掻落牡丹紋花瓶(ごすかきおとしぼたんもんかびん)。果たして署名は?閲覧予定日を来週週木曜日にさせていただいた。許可されれば午後の休診日なので今から楽しみだ。

  

当館にも時代が判然とせず、まさかと思うがもしやという作品が一点あるので余計である。

 

120524柳町付近の夕暮れ
昨日、上越市頸城区柳町付近の夕暮れ。

 

チェロとギターのコンサートバナー

ホームページ「作品」を改編しました、どうかご覧下さい。

2012年5 月23日 (水曜日)

樹下美術館ホームページの「作品」欄が見やすくなりました。

 

齋藤三郎、倉石隆両氏の作品をそれぞれカテゴリーに分類して、見だしを付けました。以下の大きな写真をクリックしますとホームページの「作品」欄に繋がります。どうかご覧下になってみて下さい。

 

作品ページ見出し

 

 齋藤三郎作品は以下のような見出しで「青磁・白磁」「染め付け」「鉄絵関連」「色絵」「そのほか」および「書画」に分類し、合計44点を掲載致しました。

齋藤三郎作品
 

 

倉石隆作品は以下のような見出しで「素描」「油彩」「銅版画」「挿絵」に分類し合計38点を掲載致しました。

 倉石隆作品

 

樹下美術館では毎年趣向を変え、かつホームページ上の作品のいくつかと出会えるよう工夫を致しております。

日食の日 雀の巣立ち ナニワイバラの満開 新たな仕事。

2012年5 月22日 (火曜日)

ニュースで見る昨日の金環日食の映像は素晴らしく、見ている人の感動が伝わった。しかしながらその時間は私の最後の熟睡時間であり、実は何も見ていない。妻は突然に暗くなったことを体感したらしい。

 

日食は見ることが出来なかったが、この日軒下で啼いていた雀が巣立ちをし、カーポートの屋根を飾っているナニワイバラ(ナニワバラ)が満開となた。

 

ナニワイバラ
仕事場の二階から見た花。

 

さてこの度10年降りで、ある特別養護老人ホームの配置医を引き受けた。週一の出向とはいえ、この年で仕事を増やすのは少々きつい。しかしながら入所者の高齢化と重度化が進む施設。頑張ってこられた先生方の負担は限界にあるとのこと。お世話になった所でもあり、最後のご奉公と思い決めた。

 

介護保険がスタートした平成12年から3年間かかわった施設。懐かしいが、その後の10年でかなり状況は変わっていた。ひと月経ち、皆様のおかげで少しずつ慣れつつある。新たな仕事で外へ出て、何か新鮮な感じも受けている。

北方文化博物館の三楽山茶会 スタッフ・裏方さんの働き

2012年5 月20日 (日曜日)

知人との縁があって北方文化博物館の由緒ある茶会に初めて行ってきた。重文や名物道具が用いられる第23回越後三楽山茶会だった。

 

このたびは、京都から「北村美術館」の貴重な出品とスタッフの参加があった。床(とこ)の掛け物と花に人と自然が息づき、惚れ惚れするお点前と美味しいお茶。そして眼と手で触れるお道具は個性と美しいさびを伝えていた。

 

緑に包まれた広大な庭を、飛び石を楽しみながら三つの茶室を巡る。茶屋のくずきりは爽やかに甘く、点心には尽きぬお心が込められていた。

 

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席では写真を撮らないので、席待ちと食事時に裏方さんやお給仕の皆さんを撮らせてもらった。気働きの良いもてなし、無駄のない動き、充実した縁の下の力持ちを垣間見せてもらった。心底さすがだと思った。

 

茶会とは別に、この日北方文化博物館の驚くべき賑わいに眼を見張らされた。歴史と文化の施設がこんなに人を集めるとは、小館ながら樹下美術館の希望にしたいと思った。

愛らしくも初々しいヒナ  齋藤さんの器で食べてみる。

2012年5 月19日 (土曜日)

仕事場の庭が鳥の声で賑やかだ。軒の三ケ所にあった雀の巣から一組が巣立った。モミジに止っていた二羽はそのヒナか。

 

もう二組はまだ巣に居て猛烈に啼いている。親は気の毒なくらいせっせと餌を運んでいた。


スズメのヒナ1

なんて可愛いことでしょう、私たちにもこんな時代があったのですね。 

 

さて、連日旬の頂き物が続く。ワラビと筍に続いてフクラゲとカレイを頂いた。こんなにもらってバチがあたりそうだ。

 

そこで今夜は齋藤三郎さんの器を出して食してみた。しかしさすが齋藤さん、私たちでは完全に負けだった。まず切れ味よい包丁と品の良い盛りつけが課題。途中はともかく、少なくとも最初と最後で負けなのである。

 

齋藤さんはプロの料理人を育てるほどの食通だったと聞いた。家庭料理のつもりでするとまず失敗だろう。

 皿
今夜使った二種。色絵梅文中皿と染め付け山家文扇皿。

お造り、焼き物、汁
写真も下手で何を作ったのかも分からない、本当に恥ずかしい。

 

料理はサービス精神が働き、つい分量を多めにしたくなる。まずそこからが問題。

 

特に良い器を使った料理の場合、分量はほどほどに少く。あるいはどう器を見せるかが勝負かもしれない。水の切り具合、立体感、取り合わせ等々などなど。味は当然、料理はとんでもなく深かろう。

 

器の数と種類は十分にある。鑑賞用で終わらせたくない。今年は無理だが、いつか「齋藤さんの器で食べる会」が出来れば、と妻と話した。

レ・ドゥのフルーツケーキ くるみぼーるのクッキー そして上越地域医療センター病院。

2012年5 月17日 (木曜日)

上越市東雲町にあるレ・ドゥーのケーキは非常に美味しい。熱心なパティシエとはご近所だったので幼少のころから知っている。東京で修行し、当地で開業後も上京を続け一途に研究された。

 

今日から樹下美術館のカフェで彼のフルーツケーキを出せるようになった。当館は小ロットのささやかなカフェ。それでもこまやかな心遣いで作ってくださった。お気づきのことは何でも仰って、とまで。

 

フルーツケーキ
甘さに、粘りと軽さが絶妙。カップはシェリーの三角ハンドル。

 

また、知人の紹介で「クルミボール」さんが焼かれたクッキーが間もなくメニューに入ることになった。本日見本が届いた。

 

クッキー
愛らしい手作り感は美術館に親しむと思った。

 

くるみぼーるさんのクッキーは、上越地域医療センター病院の東玄関ホールでも販売されている。同病院ではほかに「珈琲工房かさはら」さん、「惣菜の木曽路」さん、「移動クレープ サニーズ」さん、「キッチンママ 潤蘭」さんが日替わりで出店されている。ささやかながらこうしたこころみは開かれた病院としてとても良い。

 

不肖医師会の役員時代に同病院と関わった。大した成果も残せなかったが、その後院長はじめスタッフ一丸の真摯な取り組みを知るにつけ安堵がよぎる。

 

最近では訪問看護が始まったというニュースを読んだ。きっと成功するだろう。患者さんご本人はもちろん、ご家庭や生活背景を重んじる病院として、ますます発展されることを心から祈っている。

鈍行と美術館 上越市は文化的。

2012年5 月16日 (水曜日)

今日は長岡市から鈍行列車でお客様がこられた。

 

介護の合間などに、鈍行でゆっくり来ましたと仰るお客様が時々見える。

 

鈍行の時間は心にも体にも貴重であろう。

 

ベニシジミ
昼さがり、美術館の庭で真っ白なヒメウツギにシジミチョウが軽やかだった。

 

今日のお客様は上越が大好きで、妙高山を背景にしたお濠の蓮も桜も毎年見に来ると仰った。 


以下追加です:妻によると、その方は上越市は文化的だとも仰ったという。やや面映ゆいが嬉しい感想だ。

 

以前、新潟市の方から同じような感想をお聞きしたことがある。戦後花開いた疎開文化が関連していることかもしれない。しかし他所から見た上越市のイメージに「文化的」という一面があるのであれば大事にしなければ、と思う。

 

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雨が匂わす夏  筍のおかず。

2012年5 月15日 (火曜日)

夕にかかってシトシトと雨が降った。だれ恨むものない静かな降りだった。

 

降り始めに草木や土の匂いが強く立った。春から夏へ、山や森もいい香りがしているにちがいない。

 

煮しめ


笹寿司

 

先日の筍がおかずになって卓に出てくる。昼はミガキニシンを入れた煮しめ、夜は笹寿司だった。

母の笹寿司はもっと美味しかった、と。何気ない言葉でひと味おいしくなったりする。

余計なものがなく 単純で気持ちが良い水と森公園。

2012年5 月13日 (日曜日)

  

先日、丸山で朝食をした。妻が気に入って、もう一度行こうということになり本日また出かけた。お天気に恵まれて、小気味よい一時間半だった。

 

食事して
特別な食事ではないが、美味しい。

 

歩いて
緑をいっぱい浴びながらすれ違う。

 

芝生
芝生では子どもも大人ものびのび。

 

園内にはボールと噴水以外に遊具はない。僅かの自動販売機以外に店もなければ騒がしい音も、お仕着せがましい仕掛けなども一切ない。ここでは来園者が主人公、去年の今頃はピクニックで賑わっていた。

 

新潟県立大潟水と森公園は大気と水辺の緑と鳥の声、それに気楽な自由が漂っている。自然に添った手入れ具合がなんとも良く、一人で来ても十分楽しめる。樹下美術館から車で10分ちょっとです。

 

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カモグリに座ってアールグレイ 始まった田植え。

2012年5 月12日 (土曜日)

週末土曜日午後は仕事休み。3時のお茶を美術館で飲んだ。二つの展示室を繋ぐ場所の小さなガラステーブルにお茶を置き、これも小さなカモグリの椅子に掛けて紅茶を飲んだ。カフェにお客様が見えていると、どうも遠慮してしまう。

 

館内でお茶
シノワズリのカップ&ソーサーでアールグレイを美味しく飲んだ。
 

デッキ水が入った美術館裏の水田。一部で田植えが始まっている。

 

デッキに出て水田を眺めた。これからとてもいい季節になっていく。クレマチスと紫陽花を植えて草取りをした。

筍、 この重量で木の芽とは。

2012年5 月11日 (金曜日)

頸城区の知人から今度はまるまるコロコロとした筍を五つもいただいた。頂き物ばかりで恐縮至極である。

 

筍これでも木の芽だから勇ましい。中に全ての節がすでに形成されているという。 

 

夜、妻が下ごしらえを始めたら二階まで香りがのぼってきた。明日はスタッフたちと分けて賞味しよう。時間があれば描きたいところだ。

 

追伸:当初のタイトル「筍やこの重量で木の芽とは」は季重なりのため文にしました(5月14日)。

 

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山の幸(力)山菜 昔、池の平で私たちにも沢山採れた。

2012年5 月10日 (木曜日)

わらび

 

山菜採りが好きな方からわらびをいただいた。この時期から多くの人が山へ行く。皆さんに独自の場所があって沢山採ってこられる。深く入ることもあるのだろうが、絶えることない山菜に感心させられる。

 

山菜採り池の平のタケノコ採りの帰り。妹が担ぎ、母は着物。遠くに野尻湖。
昭和30年代中頃。

 

中高生のころ、池廼屋さんに泊まり池の平でワラビやタケノコを採った。宿の湯の香が良く、信州味噌を使った味噌汁が美味しかった。イモリ池を回り東大の寮を過ぎるあたりから私たちでも沢山ワラビやタケノコが採れた。

 

時には父が持参したコッヘルを固形アルコールの火に掛け、付近の谷川の水でタケノコと豚肉で味噌汁を作った。宿で用意してもらったおにぎりの美味しかったこと。

安否確認は双方向。

2012年5 月 8日 (火曜日)

多くの人が連休中に動いた。東京にいる知人も盆暮れのほかしばしば実家に帰ってこられる。連休にお話を聞いた。

 

郷里の実家で独居する老親を訪ねるのは、「親の顔を見ることと、自分の顔を見せること」の二つ意味がある、と仰った。確かにである。

 

訪ねなくとも普段から電話で安否を確認されている方もおおぜいいらっしゃる。実家のご近所さんやヘルパーさんとの連絡も有益だが、ご本人のお声が一番だ。その時、電話の向こうでお年寄りも子と家族の無事を案じている。

 

お年寄りは私たちが考える以上に敏感なようだ。どんなに年取っても多くの安否確認は確かに双方向であろう。

 

こぶしカット

 

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最後に素晴らしい月の影絵 終わったGW。 

2012年5 月 7日 (月曜日)

最も遠方は18分先の石橋のカメラ屋さん。文字通りお出かけなしの連休が終わった。

 

座ってばかりの毎日で、いつもはあっという間に終わる連休を長いと感じた。我慢の机修行、これまで何度もやり直しを繰り返した図録編集を今度ばかりは終了とさせた。
図録は地獄?などと弱音も吐いたが陶齋では129点の写真とリスト(名称、年代、サイズ)、用語集、年表、アルバム、私の絵をカットに用いた扉、奥付、最後に目次を入れて68ページとなった。

 

倉石隆氏の分はアルバムを残しているが、ほぼ同じ仕様で124点51ページだった。

 

夕刻美術館に出向いた。連休は昨年より賑わった印象がある。頑張った若いスタッフをねぎらい、庭と芝生の草取りを小一時間。暮れて最も遠いお出かけとなったカメラやさんへインクを買いに行った。

 

帰りの車窓の月がまことに見事、昨日が最大だったらしい。樹下美術館のベンチへ寄って田んぼの月を写した。

 

最後の夜に、素晴らしい時間が待っていた。

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送電線で遊ぶなんて。

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水の田で草が祈りはじめた。

5IMG_9487
たたんだパラソルの下でつる草がデート。

7IMG_9508
お月見して幸せそうですね。

2IMG_9396
ケーブルを這うのですか。

4IMG_9465
やせたピエロが笛を吹いて。

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恥ずかしそうな草も出てくる。

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登る月が畦にもぐって終了。

 

大きな月がゆっくり高い鉄塔のテッペンをを横切った。田の月は移動しながら次々に畦の草を影絵として見せた。およそ45分、始まったばかりのカエルの声を聞きながら、あたかも古いディズニー映画を見ている気分だった。本当に素晴らしかった。

 

 
昭和50年代後半、車でよく聴いていたラロ・シフリンの「MOON GLOW」
子どもたちと夏のお出かけはこの曲で出発。

カワラヒワの交尾と給餌。

2012年5 月 5日 (土曜日)

昼近く机にいると外で「るるる、ぴよう ぴよう」と 甘やかな鳥の声が続いていた。合歓の木の高い所で鳥が鳴いている。レンズを覗くが逆光でどんな鳥かよく分からない。

 

しばらくするとカワラヒワが飛んできて近くに止まった。一見異なる鳥に見えたが突然ヒワは鳴いている鳥に向かって飛ぶと交尾した。華やかなオスを見るメスは地味だが、うっとりしている様子だった。

 

1メスが鳴いている
鳴いているのはメスだった。

3メスに向かう
オスがそばの枝に移り。

5交尾
交尾をして。

2やってきたオス
近くにやってきたのがオス。

4見上げるメス
上に飛び立つとメスが見上げる。

6歌うオス聴くメス
オスが歌いメスが真剣に聴いている。

 

その後、近くの柿の木でヒナに給餌をしているヒワが見えた。先ほどのつがいかもしれない。春から夏へ、鳥たちはぎりぎりの計算で子育てや交尾など繁殖に勤しむという。

 

こんなに忙しくしなくても、と思うが、鳥はぼんやりしていることはあっても、のんびり横になるのを見たことがない。何事も今のうちが全てなのだろう。ある面私たちも同じかもしれないのだが、、、。

 7子育てもして

 夕刻に三羽のヒナが餌をねだって親を追っているのを見た。カワラヒワをこんなに見る年も珍しい。

荒れ模様の祝日 白磁の根付(ねつけ)は判じ文字

2012年5 月 4日 (金曜日)

せっかくのみどりの日が風雨に見舞われた。気温も下がって気象は厳しい一面を見せている。たまっている用が多く、午後美術館に顔を出した以外は一日中机に向かった。

 

そんな日の昼、ひょうんなことから齋藤三郎の小さな作品が出てきた。両面に文字の透かし彫りを施したわずか4,5センチの白磁の根付(ねつけ)である。読みといい、作りといい思ったより手の込んだ作品だった。 

 

まず読みがすんなり行かない。無造作に穴ばかり開けられているようだが、ちゃんと字が彫ってある。出会った6年前に読んだのを忘れていてすぐには分からなかった。 

根付け表

根付け裏

ようやく読めたので、妻の所に行って尋ねるとしばらく睨んでいた。表はさんずい(三水)、裏はもんがまえ(門構え)、と言うと「あっなるほど、齋藤さんは天才だわ」と感心した。

 

小片の裏表に施す透かし彫りは、筒などよりはるかに難しそうだ。漫然と彫るだけでは、相手の文字の裏ばかり見えて興ざめだろう。互いに抜け合う部分と途中で止める所をうまく案配してデザインする必要がありそうだ。面白みも出したいし、紐も通さなければならない。ウーン、たしかに厄介だ。(もしかしたら片面ずつ作って貼り合わせるのかな?)

 

この根付は6年前、開館に際して齋藤三郎さんの最初のお弟子さんである故志賀重人氏から頂いた。その時、齋藤さんは大変器用な人で、透かし彫りにおける刀(とう)さばきなど実に鮮やかだった、とお聞きした。きっとこの面倒な作品も鼻歌などを歌いながらサッサと作ったことだろう。

 

午後3時すぎ、座ってばかりの机を離れて美術館へ行った。悪天候の中何組もお客さんが見えていて嬉しかった。

 

忙しくしている若いスタッフに根付けを見せると、「表は清い、裏は閑で、清閑」と即座に答えた。最近これほどびっくりしたことは無い。

チューリップ 貴重で運命的な遺産、現憲法。

2012年5 月 3日 (木曜日)

毎年春らしい春を告げるチューリップが盛りを過ぎようとしている。

 

この花については妻が仕事場に植え続けているのを見ているうちに、段々と好きになった。

 

チューリップ
今年美術館と仕事場に咲いたけなげなチューリップたち。 

 

チューリップはもともと可憐なうえ、品種改良によって美しさを飛躍させていたようだ。一方こちらも年のせいで、幼少に親しんだ花を懐かしむようなふしもある。

 

さて本日有り難い祝日は憲法記念日だった。不戦を謳う現憲法は世界遺産よりはるかに貴重かもしれない。それを貫くのは知性・理性・愛情など人間の柔らかな部分を核とする精神であり、ある意味芸術的な深さがあるのではないだろうか。

 

心勇ましいのは良いことだが好戦の短気は呉々も禁物だ。現憲法は決して遺物ではなかろう。それどころか精神は紛争の解決にますます付与し、平和へのリードが可能な貴重で運命的な遺産に見える。

春の妙高山は楽しい版画。

2012年5 月 2日 (水曜日)

明日から雨という予報で随分と空気が湿っぽい。曇天というのに、午後の水田から頸城の山々が非常にハッキリと見えた。

 

特に妙高山は迫力だ。有名な跳ね馬の雪形が鮮やかに浮き出ている。雪を被る厳冬期には見えないのだろうから、春と共に現れる様はドラマなのだろう。

 

出現は耕作の知らせといわれのように当地も田仕事が始まろうとしている。 

 

妙高山
大きな山だけあって様々な模様が版画のように浮き出ている。
模様として濃く見える所は杉林なのであろうか。

 

写真を大きくしてみると、跳ね馬の回りにも色々な模様があり、童心に返って楽しんだ。

 

1跳ね馬
けなげに見えてくる跳ね馬。
2跳ねる牛?
すぐ上で牛?も頑張っているようだ。

 

3遊ぶ動物たち下のほうで猿、亀、子馬などが遊んでいる。

 

 

4走る二人
左上の尾根付近で二人が全力疾走?

 

これから跳ね馬はじめ様々な模様は、どのように緑の中に埋もれるのだろう。

 

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鵜の池の丸山(新潟県立大潟水と森公園)で朝食。

2012年4 月30日 (月曜日)

昨晩急に決めたとおり、鵜の池の丸山公園(県立大潟水と森公園)で朝食をしました。この公園には至る所にベンチやテーブルの心遣いがあります。あるいは芝生も随所にありますので、お弁当を広げるにこと欠きません。

 

早い時間だったので一番気に入った場所で食べました。新緑が萌え立ちなんとも気持ちが良かったです。

1半島の道を行く。
左右に池、半島の道を丸山へ。

2橋をわたって、
小さな橋を島へ渡ると、

3丸山の丘
古墳だった丘、丸山です。
4簡単な食事9120
簡単な朝食をおいしく食べました。

5シャクナゲを嗅いで_9115シャクナゲを嗅いでみて、

6風景を見てIMG_9111
古代と変わらぬ風景を眺め、
帰り道_9146
新緑の道を帰りました。

 

本日はいくつもゾーンがある広い公園のうち歴史ゾーンを歩きました。それぞれに駐車場が整えられています。帰り道で次々と来場者さんたちに出会いました。

 

ところで樹下美術館の昼は賑わっていました。長岡の若い女性のグループはこれから木村茶道美術館ということでした。着物がお似合いでしたね。千葉、柏崎、妙高からそれぞれお越しの皆様、地元上越の皆様、まことに有り難うございました。

七重八重花と若葉の溶けあひて水辺麗し春の頸城野

2012年4 月29日 (日曜日)

上越市大潟区は隣り合うようにして池が沢山ある。朝日池と鵜之池、および鵜之池と中谷内池は背中合わせ。特に今日出かけた天ヶ池と蜘蛛ヶ池は小さな池だが、互いが見えるほど近い。

 

天ヶ池
天ヶ池。ひっそりした池から水鳥が飛び立った。

 

蜘蛛ヶ池
蜘蛛ヶ池。新緑と山桜とコイノボリ。幸せな水辺の家は春まっ只中。

 

JR「土底浜駅」を降りて南へ10分も歩けば蜘蛛ヶ池の集落に着く。そこの左手に行くと二つの池が隣り合ってある。静かな所が苦手な人には向かないが、平気な人は探検がてら一度お出かけしてみては如何でしょうか。

 

明日朝、軽食をもって妻と鵜の池(水と森公園)へ朝食に行くことにしました。雨だけは降らないでください。

 

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何処へも出かけない連休。

2012年4 月28日 (土曜日)

本日から連休が始まりました。午前仕事をして、暦通りの連休です。気温もぐっと上がり晴れ渡りました。

 

お陰様でお客様に恵まれました。お二人の介助者に添われたフルリクライニング車椅子の方の訪問を嬉しく思いました。また午後には茶道に通われる若い女性のグループが見えました。中国、英国からのお嬢さんも混じって賑やかでした。

 

メガネ若者のメガネデザインはポップで楽しい。

 

春のお嬢さん達
活発なお嬢さんたちで美術館の春も加速。

 

連休中は何処へも出かけずゆっくり地域の春に親しみたいと思います。また家では溜まっている書類の処理、齋藤三郎、倉石隆の図録二冊の仕上げ、新潟市の団体機関誌6月号への執筆などに集中するつもりです(頼まれた2年のうち、まず1~5月号までお陰様で何とか終了しさせました)。

夜のチューリップ。

2012年4 月27日 (金曜日)

砂地の庭は夏が厳しい。日陰が欲しい花のために先日ヒメシャラを買っていた。5本の株立ちの若木、明日から晴れが続くというので、慌てて今夜妻と植えた。

 

夜のチューリップ年と共にチューリップがまた好きになった。

 

夏になったら節電ゆえ、灯りを点けてする庭仕事は今のうち。ヒメシャラに場所を譲ったホトトギスを植え替え、庭の奥に分厚く溜まっている落ち葉を掃き集めておよそ9時に終わった。

 

いつしかヒトリシズカやイチリンソウ、バイカカラマツなども真っ盛り。夜見るチューリップは昼とまた違っておすましをして可憐だった。

 

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ワラサ そして広くなった?砂浜。

2012年4 月25日 (水曜日)

今朝Yさんから、息子さんが釣ったばかりという魚を頂いた。出世魚のブリがフクラゲ(フクラギ)からワラサにかかる頃合いか、ゆうに60㎝を越えていた。 

 

夕陽を見に行く大潟区四ツ屋浜から降りた海岸からの投げ釣りで、最後は海に浸かって引き揚げたと聞いた。 一般に初夏からの魚らしいがすでにそんな季節になっているのだろうか。

 

フクラゲ

 

立派なので昨日お孫さんが生まれたばかりのスタッフさんと分けた。今夜は腹の身を刺身にして頂いたが、脂は薄めで味は濃く大変美味しかった。明日は背を焼き魚にするらしい。 

 

ところで大潟・柿崎一帯の海岸は、毎冬激しい浸食を受けていた。それが今冬、意外にも深刻な被害は見られず、むしろ砂浜は拡大している印象がある。こんなことは極めて珍しい。直江津港の防波堤の延長による現象ではないかという人がいた。

 

浸食を防ぐために大量のテトラを投入し続けなければならなかった海岸線。こんな徒労から免れ、今後は少しずつであっても、砂浜の再生へと向かうならこれほど嬉しいことはない。トキのヒナなどとともに、失われた環境回復へ希望を繋ぎたい。

ご近所の六地蔵尊祭。

2012年4 月24日 (火曜日)

春は今頃、家のそばの六地蔵尊でささやかな祭がある。お地蔵様はご近所さんたち地域の人によってずっと世話をされている。

 

六地蔵尊祭
 

花瓶に水仙やチューリップ、椿やコデマリなどが入り、夜は提灯が点る。町内の皆さんが夕食後に三々五々訪れて拝み賽銭を上げる。お参りした人には護符として小さなお菓子の袋が渡される。

 

昼間は太鼓が置かれているので子どもたちはドンドコドンドコと鳴らす。親に手を添えられて赤ちゃんも喜んでドンドコと叩く。その昔私も私の子どもも盛んに叩いた。

 

次は百日紅が散る頃にまたドンドコと太鼓が鳴り灯りが点る。

 

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桜雨。

2012年4 月23日 (月曜日)

咲き切って雨に任せる桜かな

 

雨降り桜

降られても暮れても眩し花あかり

 

樹という樹、枝という枝を花で埋め尽くしたソメイヨシノ。渾身の開花を慰めるように雨が降っている。こんな日は風も遠慮して、花の咲くまま、雨の降るままに任せているようだ。

幸福のパン種 増補版 「新春、人間に」から。

2012年4 月22日 (日曜日)

幸福のパン種
幸福のパン種 増補版: 堀口すみれ子編 かまくら春秋社 
平成23年10月11日発行

 

この度の堀口すみれ子さんのご講演に際して「堀口大學詩集 幸福のパン種」の増補版を戴きました。
幸福のパン種は1993年、大學の十三回忌に発行されました。昨年10月、「新春、人間に」および「そして今は」の2編を増補して改版されました。


 
昨日のご講演の最後にすみれ子さんは「新春、人間に」を朗読されました。この詩は1971年の産経新聞の元旦の特別版に掲載されたものです。その年に福島第一原子力発電所が稼働したということでした。

 

大學は生前“僕の詩は50年早かった、50年経ったら理解されるよ、君はそれを見届けておくれね”と話したそうです。

当版の末尾で、「何気なく聞き流していた言葉ですが、ああ、あの言葉は本当だったのだと実感します」、とすみれ子さんは述べられています。昨年の福島の事故を顧みる機運から、この度の増補がなされたのだと思いました。

 

以下は「新春、人間へ」です。

“ 分かち合え

 譲り合え

そして武器を捨てよ

人間よ

 

君は原子炉に

太陽を飼いならした

君は見た 月の裏側

表面には降り立った

石までも持って帰った

 

君は科学の手で

神を殺すことが出来た

おかげで君が頼れるのは

君以外になくなった

 

君はいま立っている

200万年の進化の先端

宇宙の断崖に

君はいま立っている

存亡の岐れ目に

 

原爆をふところに

滅亡の怖れにわななきながら

信じられない自分自身に

おそれわななきながら、、、

 

人間よ

分かち合え

譲り合え

そして武器を捨てよ

 

いまがその決意の時だ ”

 

元旦の特別記事にしては大変重い内容ですが、大學の先見性、詩人の良心の堅さをあらためて認識させられます。すみれ子さん、良い増補を有り難うございました。

 

今日は二つ良いことがありました。一つは放鳥されたトキのペアから初めてヒナが返ったというニュース。もう一つは書くのが恥ずかしいほど大量のハンディをもらってゴルフコンペに優勝したことでした。次回のハンディは29ということで、また挑戦したいと思います。

盛会だった堀口すみれ子さんの講演会。

堀口すみれ子さんによる講演会「堀口大學を巡る人々」は、昨夕盛会のうちに無事終了しました。

 

 堀口すみれ子さん
 

講演で語られたのはお母様のこと、そしてマリー・ローランサンとジャン・コクトーでした。

母:世界を遍歴し、文化勲章に輝く詩人・フランス文学者は、40代後半に関川村(現妙高市)の18才になる娘さんと出会い後に結婚します。漱石の「心」を仏訳するため滞在していた野尻湖ホテルでの邂逅がきっかけでした。
20を越える年の差。しかし幾星霜のうちに隔たりは埋められ、睦まじい夫婦の格へと育ち上がる過程が話されました。

 

マリー・ローランサン:大學はスペインにおいて亡命していたマりー・ローランサンと出会います。多くの国の言葉を話す日本の若き詩人をローランサンは鶯にたとえて詩を贈ります。恋か敬愛か二人の親交によって大學はローランサンの詩書集を翻訳し日本に紹介するようになります。
 

ジャン・コクトー:天才の芸術家コクトーの著作も大學によって我が国へと紹介され、二人の親交は深まりました。大學の蔵書に記されたコクトーのドローイングの洒脱さと滑らからさは驚嘆すべきものでした。氏は1936年世界一周の旅で日本に立ち寄りますが、大學は心を込めてこの国を案内しました。
 

情熱や探求によって育まれる縁、変化を遂げる関係、、、。とても感銘深い講演でした。

 

蘖(ひこばえ)

 

この日、講演に先立って当地の男性コーラスグループ「蘖(ひこばえ)」によって堀口大學作詩の2曲が披露されました。ハーモニーは詩とともに心に響き、会場は豊かな情感に包まれました。


 
すみれ子さんは三回目のご講演でした。同じ人からじっくり聞く話の意義深さをひしひしと感じました。

境内の落ち葉焚き 珍重な風情。

2012年4 月20日 (金曜日)

今年の庭は落ち葉や折れた枯れ枝が多かった。夕刻の出先でお寺の前を通った。広い境内の片隅、お庫裏の前に一すじ落ち葉焚きの煙が上っていた。寺の庭も冬のあと片付けが大変だったのでは。

 

落ち葉焚き

 

近頃たき火は少々うるさくなった。しかし寺の片隅で行われる焚き火は春秋の珍重な風情ではないだろうか。

犀潟は新堀川沿いの春。

2012年4 月19日 (木曜日)

木曜日の午後、樹下美術館のすぐ近く大潟区犀潟の新堀側沿いの春は美しかった。

 

モクレンと桜

 ハクモクレンと桜。

 

レンギョウと桜

 レンギョウと桜。

 

コブシ
コブシ
ハクモクレンの花
ハクモクレン

コブシとハクモクレンの違いは開花するとよりはっきりする。花の向き、花と花びらの大小、花の根元の葉の展開(コブシ)、花びらの下方のうす紅色(コブシ)などで異なる。

開花前はやや判然としないが、モクレンの蕾や枝先の向きが揃うのに対してコブシはばらける傾向があろう。

 

目白1
メジロ
メジロ2
メジロ

川沿いの桜並木にメジロの大群が来ていた。お腹いっぱい蜜を吸ったことだろう。